・日本の歴史公園百選 ・日本のさくらの名所百選 ・国史跡 津山城跡 に指定、選定されています。 織田信長の近習、森蘭丸の弟である森忠政公によって 津山城は築城されました。
鶴山公園内の案内看板がありました。 さくら以外にも藤や紫陽花、もみじなども綺麗なようです。 案内看板の現在地に階段を登って到着しました。 他にも地図の上側に駐車場があります。 足に不安がある方はこちらに駐車した方が来やすいかもしれません。 さくらまつりの期間中はそちらの門も開くようです。 2019年のさくらまつりの予定は 3/29~4/14の期間のようです。 この期間は毎年いろいろなお店が並び、ライトアップされて とてもきれいです。 また公園下の宮川沿いにある千代稲荷神社は 鶴山の山頂上にあった八幡様の大杉に稲穂を咥えた鶴が舞い降りた。 この鶴は五穀豊穣の神ということでお祀りしている神社のようです。 ちなみに鶴山という名前もそこが由来だそうです。 その御神木は山の頂上にあったそうなので頂上に登ってみると良いかもしれないですね。
幼名を千丸。元亀元年、美濃(岐阜県)金山城に生まれる。 京都本能寺の変で、織田信長を守護し、悲運の最期を遂げた森蘭丸の弟。 天正十二年(一五八四)兄長可の戦死後家督を継ぎ、豊臣秀吉に仕えて金山七万石を与えられる。もち徳川家康に仕え、慶長五年(一六〇〇)信濃(長野県)川中島一三万七〇〇〇石を領す。同八年美作国一円一八万六五〇〇石を与えられ津山に入封。翌九年より津山城の築城に着手、また浄化の町づくりを始め、現在の津山の基をなした。 寛永一一年(一六三四)三代将軍家光に随伴して津山より上京するが、食傷により急死す。 享年六五才。 なお、この像は、津山市小田中、森家の菩提寺本源寺にある木造を基としたものである。 [ 看板より ]
鶴山公園は岡山県内で唯一「全国桜名所百選」に選ばれている桜の名所である。 この桜の植樹に尽力したのが、福井純一である。 純一は、明治十一年(一八七八年)、津山市本町二丁目に生まれる。 津山成器小学校から同志社中学に進むが、父が病で倒れたため、中退して帰郷する。町会議員から市制とともに市議会議員、昭和七年、第三代目の津山市議会議長に就任する。 明治三十二年(一八九九年)、県有地だった津山城跡は、公園にするという条件で津山町に払い下げられた。明治三十三年(一九丸〇年)から津山町が公園化に手をつけ、純一も桜植樹の中心的な役割を担うことになる。 「城跡を桜で埋めるなんて、阿呆の沙汰じゃ」と揶揄されながらも、私財を投じるとともに寄付集めに奔走する。 その後、明治四十年(一九〇七年)ころには、公園としての様相が一応整い、その後、大正四年(一九一五年)と昭和三年(一九二八年)に御大典記念植樹が行われた。 津山城跡が桜で覆われるようになったのはこのころからである。 純一は、昭和三十二年(一九五七年)、生涯の大半を津山城跡の桜にかけた八十年の霜害を終えた。 [ 看板より ]