[縁起] 妙勝寺稲荷堂は、明治三年(1870)備中高松最上稲荷の作州分院として建立されました。 県北でも、最上稲荷様のご利益が頂戴できるようになり、地域の方から信仰を集めてきました。 [備中高松最上稲荷 縁起] 最上稲荷の歴史は、今から千二百余年前にさかのぼります。 天平勝宝四年(752)、報恩大師に孝謙天皇の病気平癒の勅命が下り、龍王山中腹の八畳岩で祈願を行いました。 すると白狐に乗った最上位経王大菩薩が八畳岩に降臨。大使はその尊影を刻み祈願を続け、無事天皇は快癒されたといいます。 その後延暦四年(785)、桓武天皇ご病気の際にも大使の祈願により快癒。 これを喜ばれた天皇の命により、現在の地に「龍王山神宮司」が建立されました。 以来、「龍王山神宮司」として繁栄を極めたものの、備中高松城水攻め際、戦火によって堂宇を焼失し、本尊の「最上位経王大菩薩」のお像のみが八畳岩の下に移され難を免れました。 このお像をもとに慶長六年(1601)、新たに領主となった花房公が関東より日円聖人を招き、霊跡を復興。 寺名も「稲荷山妙勝寺」と改めて、今日の興隆の礎を築きました。 伏見・豊川と並ぶ日本三大稲荷として、千に百余年の歴史を紡いできた最上稲荷。本尊の「最上位経王大菩薩」は五穀豊穣、商売繁盛、開運など多くの福徳をそなえています。 [妙勝寺HP 縁起参照] [ 看板より ]